石原ミチオ56年の情景展 生華の譜
インフォメーション
- 開催期間
- 2011年4月8日(金)~5月31日(火)
- 休館日
- 日曜日、祝祭日、4月9日、22~25日、30日、5月2日、3~5日、20~23日
- イベント
- 作品鑑賞会「石原ミチオ アーティスト・トーク 生華の譜」
5月14日(土)午後1時30分-午後2時30分
概要
石原ミチオは、関市に生まれ、岐阜大学学芸学部美術工芸科で美術教育を学んだ後、公立学校教員を38年間務め、関市を拠点に制作活動を続ける画家です。
1959年、関市の前衛芸術家集団VAVAの結成に参加。その後ネオ・VAVAグループを立ち上げ、自己に密着した地点で探求した作品を発表。現在は、鮮やかな色彩を用い、一気に筆を走らせた生命感あふれる作品を発表しています。
19歳の時の行動展入選より56年をむかえた石原ミチオの作品展を、関市立篠田桃紅美術空間と岐阜現代美術館の2会場で展開します。関市立篠田桃紅美術空間は、初期から1970年代まで、岐阜現代美術館では、1980年代から現在までを展示し、石原ミチオ56年間の作品世界をご紹介します。
生華の譜
1958年、西尾一三を中心に後藤昭夫・小本章らと前衛美術家集団VAVAを結成し、活動を始めて以来、数々のイベントに参加し、多くの人たちと出会いを重ねた。他人の目を気にすることなく発表できる開放感と充実に支えられていたようだ。
日本の社会状況も変わり安定した。1960~70年代のエネルギッシュで刺激的な芸術活動や表現は影を潜め、ナイーヴな表現形態が現れてきた。若さを元に、己の範疇での芸術表現活動を謳歌していた私たちも、自分を見つめ地域の文化を高めていくことの大切さに気付き始めた。
21世紀を迎える頃、関市の文化活動は活発に展開していた。私もその渦中にあった。その最中、愚息が8年の病の末、帰らぬ人となった。「人はなぜ死なねばならぬのか。」言いようの無い悔しさと怒りがこみ上げてきた。それ以来、制作に向かうとき、生きる証の命の輝きをすこしでも留めたいと祈り、一気に筆を走らせ、生華の譜となることを願って。今日を起点に、これからも生きる証として描き続けていきたい。
2011年4月 石原ミチオ